ニッポンを知る。九州・熊本編 〜山鹿灯籠まつり・今昔物語〜
それは2,000年前に始まった
夏祭りといえば、法被姿の男たちが神輿を担ぐ、威勢のよいものが多い。ところが、山鹿の祭りは、まるで違う。
毎年8月15日、16日に開催される山鹿灯籠まつりの華は、千人もの女性が和紙と糊だけでできた金灯籠を頭に掲げて優雅に舞う「千人灯籠踊り」。ゆったりとした動きとともに灯籠の灯りが揺らめくさまは、夏の夜の夢のように美しい。
金灯籠は全て山鹿灯籠師が手がける。およそ200ものパーツを糊だけで貼りあわせていく工芸品だ。さらに灯籠師たちは、毎年、大宮神社に納める奉納灯籠を作るという大役を担っている。神社や屋敷、鳥かごなどをかたどった奉納灯籠も全て和紙と糊だけで組み上げる。約2か月かけて精巧に作られた奉納灯籠は、祭りが終盤に差しかかる頃、各町内から神輿に載せられ大宮神社に奉納される。
祭りの起源を探るため大宮神社へ。禰宜(ねぎ)の杉谷さんにお話を聞く。
「灯籠まつりの由緒は古く、今から約2,000年前の第12代・景行天皇の九州御巡幸にまで遡ります」
たいまつから灯籠へ
神社の縁起とも重なる、杉谷さんの話は続く。
景行天皇が九州御巡幸の折、現在の玉名から阿蘇方面へ向かう途中、菊池川を船で進んで来られたところ、深い霧が立ち込めた。そこで山鹿の里人たちがたいまつを灯してお出迎えしたという故事があり、これが山鹿灯籠の始まりと言われる(※諸説あり)。天皇が行宮(仮の御所)を営まれたところが大宮神社だ。それから里人たちは、神社にたいまつをお供えしてきたという。
「和紙を貼った灯籠を奉納するようになったのは、室町時代のことです。当時、この地を治めていた菊池氏が『年に一度、和紙で貼った灯籠をお供えするように』というお定めをされたそうで、以来、現在に至るまで600年間、一度も途絶えることなく『上がり燈籠』と呼ばれる奉納の神事が続いています。今から77年前には終戦の翌日にも関わらず、一基だけですが、灯籠が奉納されたという記録が残っているんですよ」と杉谷さん。
さらに灯籠が芸術の域にまで高められたのは江戸時代のこと。江戸時代の山鹿は南北に走る街道と東西に流れる水路・菊池川が交わる中継地点として大いに栄えていた。その頃、灯籠を奉納していたのは旦那衆と呼ばれる、今でいう富裕層の起業家たち。彼らが様々な細工を施し、技巧を凝らしたものを作らせたことで灯籠作りの技術が飛躍的に向上したといわれている。
女性の力が育んだ山鹿灯籠まつり
こうして、神事としての山鹿灯籠は受け継がれてきたのだが、今のような祭りは、いったい、いつから始まったのだろう?
この疑問に答えてくれたのは、山鹿市役所商工観光課の工藤さん。
「灯籠を頭に掲げて踊るようになったのは昭和29年、旧山鹿市合併の年からです。さらに『千人灯籠踊り』が始まったのは昭和32年、地域の伝統行事に光を当てて山鹿を盛り上げようと婦人会の方々が奮闘して1,000人の踊り手を集めたのだそうです。当初は、金灯籠も婦人会で手作りしていたとか。女性の力でここまで大きくなった祭りなんですよ」
踊りを継承する保存会のメンバーは今なお、週2回の練習を欠かさず、目線の落とし方から首をかしげる角度に至るまで完璧な美しい舞を披露する。
「山鹿の住人はもちろん、県外からの踊り手さんも募集しています。踊る人も見る人も楽しい、そんなお祭りにしたいと思っています」
山鹿灯籠まつりを担当する工藤さんに祭りを楽しめるスポットを聞いてみた。
「山鹿小学校のグラウンドでの千人灯籠踊りはもちろん素晴らしいですが、豊前街道を踊りながら練り歩くさまも見どころのひとつ。緩やかな坂になっているので連なって見える金灯籠がきれいですよ。それから、お祭り前日の夕方に山鹿小学校の体育館に整然と並べられた金灯籠も一見の価値ありです。夕日を受けて輝く約600もの金灯籠は圧巻ですよ」
祈りを重ねて技術を継承する
さて、祭りの夜も更けて千人灯籠踊りが終わると、「ハーイ灯籠」の掛け声とともに奉納灯籠が次々と大宮神社に担ぎ込まれる。夜10時から「上がり燈籠」と称される奉納神事が執り行われるのだ。
「平時には安寧の祈願と感謝の気持ちを神前にお供えする。そして震災やコロナ禍などの有事には復興や終息の願いも込められます。や終息の願いが込められます。奉納灯籠には、皆さまの祈りや思いが込められていて、それを神様にお届けするという大切な神事なのです」と杉谷さん。
「『新しい灯籠を毎年奉納するのはもったいない』という声もありますが、これには意味があるんです。まず、一度で終わらず、毎年作ることで祈りを重ねていくという神道(しんとう)的な考え方。もうひとつは技術を継承するため。これが10年に一度しか作らないとしたら技術は失われてしまうかも。毎年祈りを重ね、伝統技術を磨き続けてきた歴史の積み重ねが今につながっているんです」
「とはいえ、伝統だとか祈りだとか堅苦しいことを強要するつもりはないんです。なんとなく来てみたら楽しくて、気がついたら毎年来ていた…というような感じになればいいのでは。伝統を守っていくためには、みんなが積極的に参加すること。そのためにはまず、楽しむことが大切なのではないでしょうか」と杉谷さんは笑顔で言葉を続けた。