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Interview

シフトする人#6 なた豆農家 藤谷修太津さん          

なた豆畑でつかまえて

青空に届かんばかりの勢いで太い蔓が伸び、手のひら大の葉がワシワシと茂る。収穫期を迎え、褐色に色づいてぷっくりと膨らんだサヤが重そうにぶら下がっている。

サヤの長さは50cmはあろうか。中にはピンク色の豆がお行儀よく並ぶ。

ここは、鹿児島県姶良市蒲生町(あいらし かもうちょう)。火山灰由来のミネラル豊富なシラス台地と温暖な気候に恵まれた、なた豆の一大産地だ。

鹿児島県姶良市 霧島錦江湾国立公園 重富海岸からの桜島

なた豆は、サヤの形が刃物の“なた”に似ていることからその名がある。英名は「ジャック・ビーン(jack bean)」。「ジャックと豆の木」のモデルにもなったという説も。

古くから「膿取り豆」として歯槽膿漏や蓄膿症の民間療法に用いられてきた、なた豆は、お茶や歯磨き粉、石鹸の原料としてご存知の方も多いだろう。

秋空の下、グリーンパワー溢れるなた豆畑で、手入れに余念がない藤谷修太津(ふじたに・しゅうたつ)さんに話を聞いた。

「いい田舎だなぁ」の一言に背中を押され

「気持ちがいいでしょう?上へ上へと、どんどん伸びていく、なた豆畑に入ると気分も上がります。“なた豆ポリフェノール”も出ているそうですよ」

日焼けした顔をほころばす藤谷さんは、実は農業一年生。蒲生出身だが、大学卒業後は故郷を離れ、静岡と愛知で機械設計に携わること二十有余年。仕事の責任も重くなり、忙しくて家族との時間も取れない日々。このまま定年を迎えたとき、自分には何も残らないのでは?という不安にさいなまれたのだという。

「高校時代は田舎(蒲生)が大っ嫌いで、とにかく早く都会に出たかったんです。でも実際、外に出てみると田舎の良さがわかったというか…。毎年、ゴールデンウィークと盆・正月には必ず帰省していました。同級生には『そんなにしょっちゅう帰ってくるんだったら、こっちで仕事を探せば?』って言われてましたね(笑)『もともと定年後は田舎に帰って農業のかたわらジャズ喫茶でもやれたら楽しいよね。地域おこしなんかもおもしろいかもね』なんて妻とも話していたんです」

とはいえ、仕事を辞める決心はつかず、もやもやした日々を送っていた。そんなある日、藤谷さんのお母さんが亡くなり、蒲生で行われた葬儀に出席した会社の先輩のひとことが、藤谷さんの背中を押す。

「いい田舎だなぁ」

そのひとことが、Uターンを考えるきっかけになったという藤谷さん。

会社を辞め、「たからべ森の学校」農業人材育成課で基礎を学び、農業生産法人で2年4か月間働いた後、手始めに小さな畑を耕し始めた。

※たからべ森の学校:廃校になった財部北中学校の校舎を活用した国の離職者向け職業訓練施設。

農業一年生。やってみてどうですか?

藤谷さんの熱心な姿を見ていたのだろう、近隣の農家から「もっと大きな畑で、なた豆を作ってみらんね」と声がかかる。農機も貸してもらえるうえ「なた豆の栽培は正直手がかかるけど、1反ぐらいなら他の作物を育てながら管理できる」と聞かされて、「それなら」と1反(10a)のなた豆畑を借りたのだそう。

実際に農業をやってみてどうですか?

「もともと自然あふれる蒲生育ちで、両親の影響もあって草花を育てることも好きでした。家庭菜園もやっていたし、農家の資質はあると思っていましたが、やっぱり職業として農業をやるのは全く勝手が違う。なかなか思うようにはいかないですね」と藤谷さんは苦笑する。

「この畑になた豆が何本植えてあると思います?1270本です。土作りから、わき芽かき、除草、病害虫対策..。全てをばらつきなく、それなりの品質と量を確保するのはかなり難しい。しかも、それが収入に直結してきますからね」

その言葉とは裏腹に藤谷さんの表情は明るかった。

「肉体労働だから正直、体はキツいです。でも、サラリーマン時代と比べたら気持ちはずっと楽ですね。この子(なた豆)たちを見てあげていさえすればいい。植物は裏切らないですから。まぁ、たまに裏切る子もいますが…」と藤谷さんは大らかに笑う。

「ははは…冗談はさておき、蒲生に帰ってきて人間らしい生活になったかな。前職ではスピード重視、コスト重視で、私自身もすごくツンツンしていたように思います。職場だけでなく家族に対しても、特に妻に対しても。多分、私はサラリーマンには向いていなかったんじゃないでしょうか。オンオフの切り替えが苦手で、家でも、つい仕事のことを考えがちでした。あのままサラリーマンを続けていたらきっと、悲しい家族になっていたことでしょう。今は子供たちとの時間も取れるようになりましたよ」

お世話になった地域の方々に恩返しを

藤谷さんには目標がある。

「ここから車で15分くらい走った山の中にブルーベリーの観光農園を開こうと考えています。野菜や果物を育てて、それでドレッシングなどの加工品を作って販売したり、レストランを併設して飲食ができるようにしたり…農業の6次産業化を目指しているんです。日本一の大楠や江戸時代から続く武家集落、豊かな自然やおいしい農産物など、蒲生には素晴らしい財産がたくさんあります。ただ、残念なことに年々、空き家や荒地が目立つようになっているのも事実。この蒲生に人の流れをつくりたい。その中からこの地に住む人が出てきたらうれしいですね。子供の頃にお世話になった地域の方々に恩返しができるような活動がしていきたいと思っています」

蒲生八幡神社境内にそびえ立つ大楠

藤谷さんは、すでに、先の「たからべ森の学校」で調理加工の技術も習得し、目標に向かって走り続ける。観光農園のオープン予定は5年後だ。

空に向かってぐんぐん育つ、なた豆のように、藤谷さんの夢もでっかく育ちますように。