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民俗学は無限大!第11章 「1130kmの道のりを歩く四国お遍路」

ふと思い立ち、四国お遍路へ

まずは一週間!

筆者には、老後の楽しみとしてとっているものがある。

・大型バイクの免許取得

・トライアスロン

・四国お遍路

やり始めるのはもうちょっと先だと思っていたが、気づけば老後に片足を突っ込んでいるお年頃。しかもニュースで次々と昭和のスターたちが亡くなったと伝えてくる。

当たり前だが、命は有限だ。もったいぶっている場合ではない。ということで、スケジュールにぽっかり穴が空いたこともあり、お遍路にでかけることにした。とはいえ、期間は一週間。八十八カ所すべてをめぐるには短すぎる。車や電車を使うことも公式に認められてはいるのだが、せっかくだ、“歩き”にこだわりたい。

そこで、まずは一週間で制覇できそうな徳島県のみをめぐることにした。徳島には1番札所から23番札所まで23札所(霊場)があり、総距離は219.9km。そうと決まれば、1番札所のある徳島県鳴門市へ。

鳴門の渦潮

ガイドブックの発売で

江戸時代、一大ブームに

まずは、お遍路とはなんぞや?からお伝えしよう。

お遍路とは、774年に讃岐(香川県)の地に生まれた真言宗の開祖、弘法大師(空海)が修行を行った四国88カ所の寺院をたどること。そうすることで煩悩が取り除かれ、ご利益がもたらされると言われている。

第18番礼所 恩山寺 修行大師像

起源は定かではないが、元来お遍路は修行僧が行うものだったようだ。一般庶民に広まったのは江戸時代になってから。時はお伊勢参りをはじめとする、参詣ブーム。1687年に「四国遍路道指南」という書物が発刊されたことで四国にも注目が集まった。これは眞念という僧侶が書いた四国お遍路のガイドブックで、巡拝すべき寺院は88カ所で、霊山寺=1番札所、極楽寺=2番札所とナンバリングしていったのも実はこの本だという。

第1番札所 霊山寺

「88」にどんな意味があるのか?煩悩の数は108だし、末広がりの「8」に関係しているのか?なんて思っていたが、なんのことはない。一人の男が勝手に作ったとは驚きだ。ちなみにこの本、明治時代まで読み継がれる大ベストセラーになったそう。

第2番礼所 極楽寺

車も電車も使っていい!

実は自由度が高いお遍路

お遍路の楽しみ方も簡単に説明しておこう。とはいっても回る順番や期間、服装など一切決まりはない。先にも述べたが、移動手段も「徒歩」に限らない。車、電車、自転車、バイク、バスツアーにのっかるのもアリだ。

ポピュラーな回り方は、1番札所から番号順に参拝する「順打ち」。88番から反時計回りにめぐることを「逆打ち」というが、うるう年に逆打ちするとご利益3倍といわれている。1度にめぐる「通し打ち」でなくとも、何回かにわける「区切り打ち」でも、県ごとに区切り打ちする「一国参り」でも、なんら問題ない。

お遍路は意外と自由なのである。ちなみに88カ所巡礼の総距離は約1130km、徒歩で通し打ちすると早くても40日間を要する。気になる宿泊場所だが、宿坊からビジネスホテル、温泉旅館、民宿までさまざま揃っている。お遍路さん向けに数千円で泊まれるプランがあるのもありがたい。

一人であっても一人にあらず

弘法大師様とともに歩く

服装自由とはいえ、筆者は雰囲気重視。1番札所の霊山寺で一式買い揃えた。背中に「南無大師遍照金剛」の文字が入った白衣(ひゃくえ)に身を包み、首から輪袈裟(わげさ)を掛けるのが正装スタイル。菅笠をかぶり、手に金剛杖、経本や数珠、線香、ロウソクなどを入れた頭陀袋を肩から掛ければ完璧である。

大した目的もなく始めたお遍路だが、不思議と気が引き締まる。金剛杖の存在も心強い。金剛杖は弘法大師の化身とされ、一人であっても弘法大師様がともにいて守ってくれるのだ。そのため、金剛杖の扱いは注意が必要。宿についたら杖先をきれいに拭き、部屋に置いて労ってあげねばならない。なお、金剛杖や菅笠に書かれている「同行二人(どうぎょうににん)」は、いつも弘法大師様と一緒という意味だ。

ひたすら歩くという行為が導く

“無”になるという心地よさ

かくしてスタートした四国お遍路。へんろみち保存協力会が発行している地図がバイブルだ。これには札所はもちろん、遍路道、公衆トイレ、宿泊施設まで細かく載っている。遍路道沿いにはみちしるべもあるので迷うことはない。

とにかく次の札所を目指して歩き、本堂と、弘法大師をまつる大師堂を参拝して、お経を唱える。納経所で御朱印をいただき、山門で一礼してまた次なる札所へ。これの繰り返しである。

最初こそ、仕事のこと、将来のこと、お金のこと、あれこれ考えながら歩いていたが、いつの間にか頭の中が“からっぽ”になっていた。「コスモスがキレイだわ」とか、「このお寺は立派だわ」とか思うもの、基本は“無”。1日に30~40km歩くのだからぐったりで、あれこれ考えている気力がないといった方が正しいのか。いずれにせよ、宿に着いたら「今日も無事に歩けた。明日も無事に歩けますように」と願うのみ。

ご飯をおいしくいただいたら早々に寝る。そしてまた朝がくる。普段、筆者は煩悩優勢なのだが、お遍路期間は良くも悪くもなんにも考えていなかった。生産性はゼロだが、“無”な日々も悪くない。もちろん、日常に戻ればすぐに欲望にまみれるのだが。

四国お遍路の醍醐味

「お接待」文化にふれる

四国お遍路といえばもう一つ、「お接待」である。一般的に「接待」というと見返りを求めるイメージが強いが、四国お遍路の接待は善意であり、“おもてなし”であり、無償だ。

四国の人々は、遍路者を「お遍路さん」と呼んで温かく迎え、時にはお菓子や飲み物を施してくれる。筆者的にはヘロヘロに疲れている時に「がんばってください」と声をかけられたのがすごく嬉しかった。小学生の子までも言ってくれるのだからなんてステキな町なんだと感動した。昔は道が整備されておらず、過酷な状況で巡拝する遍路者を見ていたため、その労をねぎらっておもてなしをするという文化が今も息づいているのだそうだ。

「お接待」を通して間接的に高徳が得られるという考えもあるらしいが、見知らぬ者に無償で施しをしてくれるところなど、世界広しといえど他にあるだろうか?人のあったかい気持ちにふれられる——これこそ四国お遍路の大きな魅力だといえる。

とまぁ、なんだか知ったようなことを書いたが、筆者はまだ「一国参り」の第一弾が終わったにすぎない。残り3県、900kmほどの道のり。同行二人で歩こう。

参考:https://shikoku-tourism.com/feature/henro/megurikata