シフトする人#5 磁器彫刻作家 福重英一郎さん
磁器彫刻作家とは?
その美しさに息を呑んだ。
桜、紫陽花、胡蝶蘭、ハナミズキ…ぷっくりと膨らんだつぼみは今にも咲きだしそうだし、葉先からは水滴がこぼれ落ちそう。花弁のひとひらひとひら、雌しべの一本一本、葉脈のひと筋ひと筋が、全て人の手によるものだとは。
たおやかでいて凛々しく、みずみずしい自然の造形美が、白磁によって、実に精緻に表現されている。
今回は、これらの作品の生みの親である磁器彫刻作家・福重英一郎さんにお話を聞く。
まず、ちょっと耳慣れない「磁器彫刻作家とは?」と尋ねてみた。
「磁器を使って彫刻的な作品を作っているので『磁器彫刻作家』なんです。陶芸家ではない、というと語弊があるかもしれないけれど…」と福重さんは、自らの生い立ちを語り始めた。
窯元の家系に生まれ、彫刻を志す
福重さんの母、故・美和さんは陶芸家でデザイナー。その実家は江戸時代から10代続いた波佐見焼の窯元(注)だったこともあり、幼い頃から身近に良質なプロダクトや陶芸家の手による陶磁器に触れてきたという。
「母は、時々僕に学校を休ませては美術館に連れていってくれたものです。その時のことは今でも鮮明に覚えていますよ」と福重さん。
子供の頃は将来、画家になることを夢見ていた福重さんの進路を決定づけたのは、高校2年になったある日、父方の祖父の本棚で見つけた一冊の本だった。
その本とは『古典彫刻・ギリシャ彫刻』の図録。
「人類が成し得た完全なる造形美にすっかり魅了された」という福重さんは、彫刻の道に進むことを決心。武蔵野美術大学彫刻科に進学する。
注:波佐見焼の窯元:福幸製陶所(幸山陶苑)。選りすぐりのろくろ師や絵付職人をかかえ、最盛期には160名ほどの工員を擁するメーカーであったが、平成13年 廃業。平成24年 国登録有形文化財に登録。現在「西の原地区」として、往時を生かしたリニューアルを行い、ギャラリー、カフェ、クラフト店などが集まった波佐見の文化の発信地となっている。
一転!シンガーを目指す
さて、そこから迷わずまっすぐ現在に至るのかと思いきや、なんと22歳で美大をドロップアウト。以来10年以上、美術とは無縁の生活を送ることになる。
それは、なぜか?
プロのシンガーを目指したからである。
「もともと歌うことは大好きだったんです。高校時代、先輩からボーカルに誘われたのがきっかけで、歌う喜びに目覚めたというか、バンド活動がおもしろくなって。バイトしながら夢を追う生活へ。プロダクションに入り、作詞家やアレンジャーもつけてもらって本格的にプロを目指していました。でも、当時の僕は、他人から指図をされたりするのが嫌で反抗ばかり。若気の至りというか、まぁ結局は、実力不足だったんですけどね」と振り返る。
再び美を追求する、焼き物の世界へ
そんな福重さんが焼き物の世界へ戻ってきた理由は、少し意外なものだった。
「最初は音楽のために焼き物に戻ったというのかな。シンガーとして売り出すプロフィールのなかにちょっと“引っかかり”が欲しかったんです。『焼き物もやっている異色のシンガー』というような、ね。かなり不純な動機だったかも」
「とはいえ」と福重さんは言葉を続けた。
「以前から美術表現は必ず自分についてくるものだと思っていたので、いずれは焼き物をやるつもりではありました。とにかく僕の根っこのところには、ずっと美術が生き続けていたのは確かでしたから」
こうして福重さんは東京から母の工房のある福岡の地へ戻り、自らの作品づくりを通して美を追求していくことになる。
“お骨壷”との出逢い
帰郷して作品づくりをするなかで心境の変化は?
「いくつか大きな仕事をいただいたり、また、自分の作品のなかで大きな柱のひとつとなっている“お骨壷”との出逢いもあって、僕の存在理由だとか役割みたいなものは造形表現にあるという意識が芽生えたように思います」
“お骨壷”との出逢いとは?
「9年ほど前のこと『幼くして亡くなった孫の骨壷を作って欲しい』というご依頼を受けたんです。お孫さんが生まれた時にハナミズキを植えたから『ハナミズキの花をあしらって』というご要望でした」
その骨壷づくりを通して、残された遺族の故人への想いに触れたことで、福重さんの中にある決意が生まれたという。
故人と遺族をつなぐ、生前お骨壷
「骨壷の主な素材は焼き物ですよね?そして、彫刻家の大きな仕事は墓づくりなんです。ピラミッッドしかり、メディチ家廟しかり。だから、代々焼き物づくりの家系に生まれ、彫刻家を志す僕にとって、終のすみかとも言える“お骨壷”づくりこそが使命だと感じたんです」
従来の骨壷といえば、葬儀社のカタログの中からその場で選ぶ無味乾燥なものだった。
だが、福重さんの“お骨壷”は違う。純白の花々を冠した球形のそれは、ため息が出るほどに美しい。
制作期間は数ヶ月から半年。紫陽花に至っては構想から2年を要したという。
美術工芸品として丹念に仕上げられた“お骨壷”は、お墓に納めることなく、故人を偲ぶために遺族が手元に置く場合が多いのだそう。
「生前から小物入れなどとして使いながらお手元に置いて、ぜひつながりを深めていただきたいのです。ご自身だけでなくご家族のためにも。そして、それを“お骨壷”として使うのは、ずっと先であって欲しいと願っています」
観る人の心を動かすものを作りたい
「花には申し訳ないけど、カッターでバラバラに分解して構造を研究しています。例えば、9年間作り続けている桜なんかは毎年ブラッシュアップしていて、初期のものと今のものでは全く違う」
制作風景を見せてもらった。
ひとひらの花びらにに絶妙なカーブをつけ、花脈を一筋一筋刻み、雄しべを一本ずつ切り起こしていく…。実に気の遠くなるような細かい手仕事が続く。
合間に生地が乾かないように霧吹きで水分を与えるさまは、まるで生花を扱うようだ。
「ラインの美しさとバランス、光と陰が作る美しさを追求し続けています。磁器は実際には硬い素材ですが、柔らかくしなやかに見えるように立体をかたちづくっていく。
そうやって造形を追っていくと、花も動物も石も…すべてのものにはどこか同じ、普遍的なライン、美しさがあると思うんです。その美しさを再構築し、表現したいから。
表現者として普遍的なもの、時・所・人を選ばず、観る人の心を動かすものを作りたいと思っています」
午後の陽が傾いてきた。
工房の窓から差し込む柔らかな光を受けて、福重さんの白磁の作品たちが、ひときわ生き生きと輝きだした。
福重英一郎さんの情報は、こちらから website https://eiichiro-porcelain-art.com